マジック・ジョンソンの歴代バッシュから、特に有名なシューズを3つ厳選してご紹介します!
マジック・ジョンソンといえば、80年代から90年代にかけてNBAで活躍した元プロバスケット選手。NBAでレジェンド選手をあげるなら誰?と聞かれれば、このマジック・ジョンソンの名を出す方も多いことでしょう。
卓越した実績と実力。名実ともに歴代最高のポイントガードとして名を馳せました。一見地味に見えたポイントガードというポジションを、プレーで華やかなものにするなどバスケットの常識を変えた選手でもあります。
そんなマジック・ジョンソンの愛用バッシュとはどんなものがあるのでしょうか?以下で チェックしてみましょう!
マジック・ジョンソンのバッシュと言えば「コンバース」
マジック・ジョンソンが愛用したバッシュは「コンバース」のものが多く、本記事で紹介するバッシュはいずれもコンバースのものです。
そもそもコンバースとは、バッシュの始祖を作ったメーカーです。今から100年近く前、コンバースは「年間通して使える靴」の開発をしており、その後「バスケットで使えるスポーツシューズ」が目標となりました。
現在は新旧多くのメーカーが最新技術を駆使してバッシュを開発していますが、そのすべての始まりとなったのがコンバースです。このことから国内の知名度も高く、コンバース誕生から100年経った今も多くの方が愛用しています。
バッシュの歴史まとめマジック・ジョンソンの歴代バッシュ①「コンバース アクセレレイター」
最初に紹介するマジック・ジョンソンのバッシュは、「マジックのバッシュ」として最も知られた「コンバース アクセレレイター」です。
アクセレレイターは、1992年のバルセロナオリンピックに合わせて登場したバッシュで、同大会でマジック・ジョンソンが使用したことでも知られています。歴史あるコンバースですが、コンバースの人気はこの時まさに最高潮に。「コンバース全盛期」の代表的なバッシュとなります。
アクセレレイターの特徴は、かかとに入った「リアクト」と呼ばれるゲル状の素材。こちらは衝撃を吸収するもので、動きが多いポイントガードの負担を軽減します。
漫画「スラムダンク」の登場人物である「宮城リョータ」のバッシュも、このコンバース アクセレレイター。作中屈指のポイントガードとして大活躍したリョータですが、ポジションやバッシュから、マジック・ジョンソンをモデルにしたという説があります。
現在同モデルは入手困難品。なかなか当時のものを手に入れることは難しいですが、近年では「ACCELERATOR EW MID」という名で復刻版が出ています。
【スラムダンク】宮城リョータのバッシュマジック・ジョンソンの歴代バッシュ②「コンバース cons」
続いてご紹介するマジック・ジョンソンのバッシュは「コンバース cons」です。
1992年、マジック・ジョンソンのプロ選手としてのキャリアは、1991年~1992年シーズンで突然終了します。衰えではなく、突然の引退にNBAの歴史に突如として転機が訪れました。
このシーズンで引退してしまったマジック・ジョンソンですが、1992年のオールスターは多数の投票があったことで出場を決定。もう見れないと思われたマジック・ジョンソンのプレーをオールスターで再び見れる、感動の1戦となっています。
この試合でマジック・ジョンソンが使用したバッシュこそが、「コンバース cons」。NBAファンとしてはあまりに印象的なオールスター。名場面にも度々紹介されるなど、30年が経った今でも度々語り草となっています。
マジック・ジョンソンの歴代バッシュ③「コンバース ウェポン」
最後にご紹介するマジック・ジョンソンのバッシュは、「コンバース ウェポン」です。こちらのバッシュは1986年に登場したバッシュで、マジック・ジョンソンのほか彼のライバルでもあった「ラリー・バード」が愛用したことで知られています。
この2人が着用していたことは大きなインパクトを残しました。この数年後は「ナイキ」がバッシュの代表的なメーカーとして名を残しますが、前述したアクセレレイターが登場するまで「コンバース」の一強時代をスタートさせました。NBAの歴史に残る名バッシュとなっています。
コンバース ウェポンが活躍した時代は、バッシュそのものが近代化し始めた時期です。ボリュームを落としてハイテクなバッシュが次々に生産されましたが、その時代でも選手たちの足元を支え続けたのがこの「ウェポン」となります。
(後にレジェンドとなる)ライバル同士が同じバッシュを使用している。……という熱い広告効果もあり、全世界で400万足の売り上げを残しました。